「しっくりこない」が消えなかった人だけが、自分の線を持つ
初めまして。大変深く考えさせられました。ありがとうございます。
料理の世界でも、レシピ通りに作ったはずなのに、
「なんか違う」と感じることがあります。
その違和感は、まだその一品に
“自分”が宿っていないからなのかもしれない。
以前そう感じたことを、この記事を読んで思い出しました。
キャンディさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
私はほぼ自炊なので、お気持ちよく分ります。
レシピはあくまで「誰かの口」合わせですよね。
同じ料理でもお店によって味が違うように、輪郭がはっきり見える世界だと思います🐾
ムラサメさん、はじめまして。
とても哲学的な問いで、つい目が離せなくなりました。
違和感は違和感である限り、理解できないのか。
それとも違和感を飲み込みつつ進んでいくと、あるとき理解できるのか。
その違和感に対する気づきが、その人らしさのシーズなのかも知れません。と考えてふと頭に浮かんだのが、デカルトの「我思うゆえに我あり」
違和感は大切にしたいですね〜
おさるぼんさん、はじめまして。
とても深いコメントありがとうございます。
違和感は、理解の外側にある「まだ言語化されていない何か」の気配だと捉えてます。
そのまま置いておくこともあれば、歩みを進めるうちに輪郭が現れてくることもある。
どちらの態度も、その人の思考の癖や感性を映し出すのだと思いますね。
デカルトの言葉を取り上げていただいたことで、違和感が「存在の証」として現れる感覚があります。
大切にしていきましょう🐾
ですね〜。どうぞよろしくお願いします💕
初めまして。大変深く考えさせられました。ありがとうございます。
料理の世界でも、レシピ通りに作ったはずなのに、
「なんか違う」と感じることがあります。
その違和感は、まだその一品に
“自分”が宿っていないからなのかもしれない。
以前そう感じたことを、この記事を読んで思い出しました。
キャンディさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
私はほぼ自炊なので、お気持ちよく分ります。
レシピはあくまで「誰かの口」合わせですよね。
同じ料理でもお店によって味が違うように、輪郭がはっきり見える世界だと思います🐾
ムラサメさん、はじめまして。
とても哲学的な問いで、つい目が離せなくなりました。
違和感は違和感である限り、理解できないのか。
それとも違和感を飲み込みつつ進んでいくと、あるとき理解できるのか。
その違和感に対する気づきが、その人らしさのシーズなのかも知れません。と考えてふと頭に浮かんだのが、デカルトの「我思うゆえに我あり」
違和感は大切にしたいですね〜
おさるぼんさん、はじめまして。
とても深いコメントありがとうございます。
違和感は、理解の外側にある「まだ言語化されていない何か」の気配だと捉えてます。
そのまま置いておくこともあれば、歩みを進めるうちに輪郭が現れてくることもある。
どちらの態度も、その人の思考の癖や感性を映し出すのだと思いますね。
デカルトの言葉を取り上げていただいたことで、違和感が「存在の証」として現れる感覚があります。
大切にしていきましょう🐾
ですね〜。どうぞよろしくお願いします💕