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キャンディ 50代主婦の暮らしと言語化のアバター

初めまして。大変深く考えさせられました。ありがとうございます。

料理の世界でも、レシピ通りに作ったはずなのに、

「なんか違う」と感じることがあります。

その違和感は、まだその一品に

“自分”が宿っていないからなのかもしれない。

以前そう感じたことを、この記事を読んで思い出しました。

ムラサメ | 伝わるデザイン・ディレクターのアバター

キャンディさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

私はほぼ自炊なので、お気持ちよく分ります。

レシピはあくまで「誰かの口」合わせですよね。

同じ料理でもお店によって味が違うように、輪郭がはっきり見える世界だと思います🐾

おさるぼん|アラフィフ専門職の生存戦略のアバター

ムラサメさん、はじめまして。

とても哲学的な問いで、つい目が離せなくなりました。

違和感は違和感である限り、理解できないのか。

それとも違和感を飲み込みつつ進んでいくと、あるとき理解できるのか。

その違和感に対する気づきが、その人らしさのシーズなのかも知れません。と考えてふと頭に浮かんだのが、デカルトの「我思うゆえに我あり」

違和感は大切にしたいですね〜

ムラサメ | 伝わるデザイン・ディレクターのアバター

おさるぼんさん、はじめまして。

とても深いコメントありがとうございます。

違和感は、理解の外側にある「まだ言語化されていない何か」の気配だと捉えてます。

そのまま置いておくこともあれば、歩みを進めるうちに輪郭が現れてくることもある。

どちらの態度も、その人の思考の癖や感性を映し出すのだと思いますね。

デカルトの言葉を取り上げていただいたことで、違和感が「存在の証」として現れる感覚があります。

大切にしていきましょう🐾

おさるぼん|アラフィフ専門職の生存戦略のアバター

ですね〜。どうぞよろしくお願いします💕