似てしまうのは、才能がないからではない
借り物と自分の間に、境界線が見えた日
How to create an Outline #2
仕上がったものを見て、どこか落ち着かない感覚があった。
形は整っている。
完成もしている。
それでも、何かよそよそしい。
まるで他人の服を着ているような。
好きなものを無意識に着ていた
模写は意図的なもの。
好きな作家の線をなぞった。
好きなWebサイトの構造を分解した。
真剣に繰り返し、時間をかけて本気で取り組んでいました。
問題は、取り込む段階で思考が止まっていたことです。
好きなものを分解するところまではやった。
でも自分の文脈に引き寄せる前に、そのまま使った。
なぜそれが好きなのかを考えないまま、形だけを手に取って、そのまま着た。
その状態に、自分では気づいていませんでした。
「似ている」は何を映しているのか?
「これ、〇〇っぽいですね」と言われたことがあります。
先方に悪意はありません。
むしろ自然な感想として、さらりと言われました。
それでも何かが引っかかって、しばらく頭から離れなかったんです。
比較は外側から伝えられます。
でも、その言葉に居心地の悪さを感じた事実は、内側からしか生まれません。
傷ついたのではなかった。
恥ずかしかったのでもなかった。
自分の中の何かが、微かに「違う」と言い返していた。
「似ている」という言葉が鏡になった時、借り物と自分の間に境界線が初めて見えました。
好きなものが自分のものになる瞬間
好きなものには、なぜ好きなのかの理由があります。
その線の抑揚に惹かれたのか。
その余白の思い切りに惹かれたのか。
その構造の潔さに惹かれたのか。
「好き」の解像度を上げていくと、自分が何に反応しているのかが見えてきます。
その反応を自分の文脈に引き寄せたとき、形は変わるんです。
元の形が崩れることを恐れて、そのまま着てくる人がいた。
でも借り物は、自分の寸法に仕立て直して初めて自分のものになる。
形を崩すのではありません。
自分の体に合わせて、作り直すんです。
輪郭は違和感の履歴でできている
「似ている」と言われた後、かなり考えました。
何が借り物で、何が自分のものなのか?
その疑問を持ち始めた頃から、デザインへの向き合い方が変わりました。
好きなものに触れるたびに、「なぜ好きなのか?」を少しだけ考えるようになった。
取り込むときに、「自分の寸法ではどう変わるのか?」を考えるようになった。
その小さな疑問の積み重ねが、借り物と自分の物の境界線を、少しずつ鮮明にしていきました。
比較への違和感は、傷ではありません。
自分の輪郭がどこにあるかを知れる、最初の手がかりです。
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もう火曜日ですね🤭
あとでじっくりと読みますね✨