正解を教えてもらえなかった夜が、私の輪郭をつくった
ボツ案の山が、あなたの輪郭になる
How to create an Outline #0
日常の観察
先日、訪問先のオフィスからの帰り際、ある光景を目にしました。
若いデザイナーが、AIのチャット欄に画像を渡し、「このデザインの別角度からのアプローチを教えて」と指示していた。
AIは数秒で答えを返す。
彼はその内容を読み、デザイン作業に戻った。
速くて的確。
そして、どこかで見たことがある光景。
AI技術の民主化が進んだ今、一定品質の答えは誰でも瞬時に手に入れられます。
それ自体は素晴らしいこと。
無駄な遠回りを省き、効率的に前へ進めます。
ただ、ふと小さな疑問が湧き上がりました。
「輪郭」はどうなってるのだろう?
その人が手掛けたと分かる何か。
その人でなければ出なかった判断の跡。
借りてきた答えではなく、自分の手で掴んだ感覚の蓄積。
輪郭とは
その人が「違う」と言い続けた判断の蓄積が
外側から見えるようになったもの
※ 私の定義です
そういうものが、数秒の答えを積み重ねていく先に育っていくのだろうか?
平均化が進む時代だからこそ、私たちが通り過ぎようとしている「不器用な遠回り」の価値について、少し考えてみたくなりました。
暗闇を手探りで歩いた、私の原体験
今から10数年前、私がWebデザインの仕事を初めて任された時の話。
紙のデザインを経験した後、本格的にWebに移ってきたばかりでした。
勤めた制作会社はクリエイティブ特化型で、方針はかなりストイックなもの。
「周りは一切手を貸さない。自分の業務は自分でなんとかしろ。」
基礎は教わったもののマニュアルなんてありません。
皆忙しく、付きっきりで教えてくれる先輩もいません。
目の前にはクライアントの要望が書かれたドキュメントと、真っ白な画面だけ。
どこから手を付けたら「かっこいいデザイン」を作れるのか?
当時の私には、会社の事例を見たり、検索して参考を探すしかないです。
ただひたすら要素を並べては「なんか違う」と消し、色を変えては「これではない」とボツにする時間が続きました。
照明のスイッチがどこにあるかも分からない、完全な暗闇の部屋に放り込まれたような感覚。壁をペタペタと触りながら、何度も何度も空振りをする。
「ここか?
…違った」
「これか?
…これも違う」
スイッチの場所を教えてくれる人は誰もいません。
〆切が迫る中、自分の引き出しの少なさに絶望していたのを思い出します。
それでも「自分でやるしかない」と腹をくくり、休日返上で毎晩遅くまでボツ案の山を築きながら、泥臭く最後の最後までなんとかやり抜きました。
自分としては、とても洗練されているとは言えませんが、不慣れなりに考え抜いたデザイン。社内で何度かダメ出しをされた上で、これでどうか…と恐る恐る見せたとき、上司はこう言いました。
「できましたね、良いじゃないですか」
その時の、目の前の暗闇が一気に晴れた感覚が忘れられません。
安堵よりも先に来たのは「自分の頭で考え、最後までやり抜いた」という感覚。教えられた正解をなぞったのではありません。だからこそ、その過程で得たものは今でも私の支えになっています。
あの時積み上げたボツ案の山が、確実に今の私の「輪郭」の土台になりました。
そのことに気付いたのは、ずいぶん後のことですが。
強い輪郭を持つ人は、裏で誰よりもボツを愛している
その後長くデザインの現場で、様々な人を観察してきました。
その上で確信があることは、「あの人はセンスがある」「唯一無二の存在感を持っている」と言われる人で、最初から一発で正解を出せる天才なんて1人もいなかったということ。
むしろ、強い輪郭を持って選ばれ続けている人ほど、裏では誰よりもボツ案の山を積み上げています。彼らのPCやノートの隅には、表には決して出ることのない「これではない」「なんか違う」という試行錯誤の跡が、無数に刻まれています。
強い輪郭とは、その裏にある膨大なボツ案の影によって初めて光を放ち見えてくるものなのだと、現場は教えてくれました。
「正解」を借り続けた人と、「ボツ」を積み続けた人のその後
長年制作の現場を見てきて、気付いたことがります。
「自分らしさが分からない」と悩む人の多くは、ボツ案を早々に手放す人です。
「これは違うかもしれない」と感じた時、自分の判断を信じず、誰かが用意した「正解らしきもの」と取り替えてしまう。
ひとつひとつの入れ替えは小さいもの。
でも、それを繰り返していくうちに、ある時点で「自分の判断」というものが見えにくくなっていきます。
「この人のデザインには輪郭がある」と感じる人を観察すると、ある共通点がありました。
彼らは「違和感」を大切にしている。
「なんか違う」と感じた時、すぐ外に答えを求めるのではなく、その違和感に少し留まるんです。
「どう違うのか?」「何がひっかかっているのか?」を、自分の中で言語化しようと考える。
そのひっかかりこそが、その人だけの視点の兆しだということを、現場は何度も教えてくれました。
「なんか違う」という感覚は、世界の解像度が上がっている証拠です。
ボツにした判断のひとつひとつが、その人の輪郭の一片を形作っていきます。
今思うこと
今でこそ「ボツ案の山こそが資産ですよ」などと書いていますが、当時の私はそんな風に格好よく割り切ることなど到底できませんでした。
毎晩終電間際まで、時には泊まりのオフィスでPC画面を睨みながら、自分の不甲斐なさに泣きそうになっていました。「もう帰りたい」「誰か正解を教えてくれ」と、心の中で何度叫んだか分かりません。
実際に不眠になったり、お通じが悪くなったりしましたね。
でも、あのとき自分の頭で狂おしいほどに考え抜いた時間があったからこそ、今の私がいるのは確かです。
もしタイムマシンがあるなら、暗闇の中で壁を触り続けていたあの頃の自分の肩を叩いて一言伝えてあげたい。
「そのボツ案の山、全部お前の輪郭になるぞ」
輪郭はどのように形成されるのか?
現場の観察から少しずつ解体していくシリーズ「輪郭の作り方」は、毎週火曜配信となります。
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ムラサメさんにも、そんな泥臭い時代があったんですね🥲👏 わたしの英文レジュメも確実にボツの山を築きつつありますが、輪郭ができる途中なんだと信じてがんばります😀🐾
ムラサメさん、こんにちわ✨
ボツではないのですが、インスタなどで、洗練された投稿を沢山作ってる方の下〜の方の歴史を見るのが好きです♡
その方の歩いてきた、今のその方を形作ってきた、そのときの全力たち。
人に歴史ありだなぁって勝手に感動できます🤭✨